東海道 府中宿
人宿町 OMACHI 創造計画
Traded since ancient times, fused and harmonized
with residents Create a new “OMACHI”.
We aim to be the most hospitable city in Japan where people live.
Produced by
©DESIGN OFFICE SOZOSYA All Rights Reserved
旧東海道の宿場町で大昔から賑わい、
七〇年前は静岡で一番の繁華街、
映画館街として、
「七ブラシネマ通り」と
名付けられ栄えていた町。
それが人宿町でした。
その人宿町を舞台に、
昔からのお店をリノベーションしたり、
新しいビルにさまざまな
お店がオープンしていきます。
昔の面影や人情を大切にしながら、
今を、未来をみながら、
人宿町は変わり続けていきます。
古くから商い、住む人と融合、調和した
新たな「OMACHI」を創造する。
歴史を受け継ぎ、再生していくことで、
まちに人が宿り、情が宿っていく。
日本で一番人情が深いまちを目指しています。
創造舎の本社となる建物に出会ったのは2011年。葵区人宿町に約20年間放置された銭湯ビルとの出会いだった。 駿河区高松で独立起業した事務所から思い切って移転を決意して、この建物を自宅兼事務所としてフルリノベーション。これをきっかけに人宿町で働き住むことになる。世の中は東日本大震災が起き資材建材の流通も逼迫する中、十分な仕様が叶わず粛々と引っ越しオープンする。
本社移転と同時期、人宿町・七間町を支えていた映画館4軒が閉館を決定。これを受け急遽、近隣の七間町商店街の店主を中心とした跡地利用の市民会議を定期開催。創造舎本社ビルの3階が会場となり、店主たちと購入予定者となった静岡市水道局庁舎との会議が執り行われた。水道庁舎単独の建物では土日の機能を失い街としての賑わいに欠ける。店主たちの声によって上下水道局庁舎と若者を集めるため調理専門学校を誘致、そしてクリエイターの集まる場所としてCCC(静岡市文化・クリエイティブ産業振興センター)、一般歯科医院が庁舎のテナントとして入居。1階路面には、クリエーターの展示企画展が出来るスペース、調理学校生徒が運営するレストランが決まった。
民間の声が行政に届く瞬間を見届けた。
その後映画館は解体され水道庁舎の設計期間約一年半の期間、中心市街地に大型空地が出現。静岡市の援助もあり、中心市街地活性化のために、皆があつまれてイベントが出来る賑わい創出広場の設計を依頼される。短期の利用ということを考慮し、再利用が可能な海上コンテナを使用した仮設建築を創った。予算も限られる中、外構などは地域の方々が手伝ってくれ、皆で力を合わせて完成させた。
この街のアト(昔)サキ(未来)セブン(七間町)を検討していくプロジェクト。名付けて、アトサキセブンプロジェクトが発足。約1年半の間、街の有志が週に一度集まり定例会議を開催。全員が手弁当でボランティア。この街への熱い思いを語り合い、皆の信頼が深まった。そして、広場は週末になると様々なイベントが開催され、街が再び活気をみせ始めてきた。
人宿町の通りの賑わいを再び取り戻したいと創った記念すべき第1号の店舗。
既存の居酒屋の建築を利用してリノベーションを試みたが漏水による躯体の腐食がひどすぎて断念。
まだ、近隣には店舗がほぼ無く、1号の店もオーナーが2階に住居を持ち、1階のみをオーナー直営のレストランにする計画を請け負った。シークレットな店を目指したため、ひっそり佇む高貴なイメージで建築をした。ターゲットは、個室利用のお客様。まだ人通りの少ない街だったので、叶ったお店でした。
七間町名店街に出来たコインパーキング。商店街の店舗の連なりを突如さえぎり歯抜け状態になる。それを解消するために、まちづくり公社とチャレンジアップ事業を合わせる企画を検討。道路側にコンテナを設置して店舗の連続性を演出した。こちらも、近い将来に再開発が予定されていたので、移動可能なコンテナ建築をセレクト。
アトサキセブンプロジェクトが終了して2年ほど経ち、発信の場を失っていたが、近くにビル建設を計画することになり、その設計期間で2年ほど時間をもらえる土地が出来た。そこで、平時の集客も考えラーメン店を併用した、イベントテラス広場を創った。テラス席ではBBQや物販などのイベントを開催。この企画は、創造舎が単独で企画実行した。はじめは、好き勝手なイベントを行ってしまい、歩道に椅子や机を並べたりして通行者に迷惑をかけることもあったが、すぐに心入れ替え、街の方々にご迷惑をかけないようなイベントを開催していった。2018年に撤退した際はコンテナをJR静岡駅に売却。現在は静岡駅の高架下で拉麺屋として活躍中。コンテナの移築はレッカーと大型トラックがあれば1日という短期間での移設が可能。コンテナ施設は再利用が可能なため環境にも優しくSDGSという点も誉である。
正月の縁起物として古い伝統がある静岡張子が廃業。工房は戦後バラックのような建物構造でとてもリノベ修復できなかったので、1Fにパーソナルトレーナーのジム、2F~5Fは住居8戸の賃貸マンションへ。夜は印象的なデザインパネルの間接照明が灯り、人宿町の通りを照らす役目も果たす建物へ。近隣の家賃相場より少し金額を上げた分、専有面積を広くした部屋。そのことによって、住まう方の生活水準が上がり、街を利用してもらえる可能性が高くなった。
以前は某レンタルビデオ店だった空き物件のビルを改装。業務スーパー的な小売店舗「小倉屋」初の直売店「Food marche CHOHO」をOPEN。大賑わいの開店時には人宿町で初めてみる人溜まりが出来た。実は、半信半疑な点もあったこの街の再興だったが、この時の街の人たちのたくさんの笑顔をみて街づくりに覚悟を決めた。
街づくりからの派生で静岡ISETANより、クリスマス時期に正面エントランスとおもちゃ売り場をオクシズ材でデザインし作成。おもちゃ売り場にはオクシズ材の小さな家を建て、イベント終了後はキッズ小屋をカフェで再利用している。
1階の居酒屋は創業50年の老舗で常連客を多く持つ店舗、あとはすべて空の状態。そして、本当にあるんだと思うようなゴミ屋敷の4階。ここをリノベーションするべきか悩んだが、実施を決意。今どきは無いストレート階段は3階まで続いていた。ここを何かシンボル的に空間に出来ないか考えた結果、壁画にたどり着く。若手アーティストを5人集めて各自が自由な表現で描いてもらった。その後、この5人は「the spot」というアートユニットを創り、人宿町のあらゆるところで壁画を描いていくことになる。そんな楽しいこのビルは「パラダイスビル」と命名された。1階の駐車場だった空間はワインバーになり、2階には子供にやさしいカフェ、宇田川ベースカフェが誕生した。ここは、チビちゃんが走り回っても大丈夫。ママにもやさしいカフェである。ISETANのおもちゃ売り場に設置したオクシズ材のキッズハウスをここで再利用した。3階はアトリエが3件ありアートな方々が集う場所になった。4階には、SPOTのリーダー的存在の日本在住20年のアメリカ人アーティストが根城にした。彼のおかげで、海外発信や通訳など人宿町に居なくてはならない存在になっている。
ビルのファサードのガラス開口を最大限大きくして、デザインパネルを裏からライティングすることで、今までの印象とはガラリと変わった建物に。1階には飲食店3店舗・2階は美容院単独・3階にはオープンスペースを持つコワーキングスペースオフィス、4・5階は住居スペースとした「SOZOSYA Mビル」。
完成時にオープニング内覧会を催すも来客はほぼ無し。話題性に欠ける企画となってしまった。各テナントの店主にも声をかけることもなく、地域町内会にも話を通していない。
一番は街との連携が足りなかった点がある。結果、メディアにも取り上げられることもなく寂しくオープンをした。今後、どのように街に溶け込み公共性を持っていったら良いのか考えた結果、10軒ほどの複数物件を同時にオープンさせ、近隣町内会にも報告等をしっかりして仲間に入っていただき、店主を主役としたようなオープンイベントが出来ないものか考えながら、今後のプロジェクトを進めていこうと決意。これから「OMACHI創造計画」と銘打ってが本格始動していく。
人宿町の入口となる角に「人宿町離宮」は建つ。ここは、設計期間にアトサキラーメンという、イベント広場を兼ね揃えたコンテナ建築の拉麺屋が期間出店していた場所。その以前は、雑貨屋と靴屋だったが、すでに長く閉店をしていた。土地売買の時には更地渡しとなっていたので、リノベーションは不可能だった。
この街の1番の課題点は夜が暗いということだった。商店の少ない街区の夜は少し薄気味悪く、夜の一人歩きにも警戒を感じるようだった。そこで照明計画の検討をすることに。外壁の間接照明やアッパーライト、照度の高いスポット照明も考えたが、最終的に外壁全体を光らせてしまい、建物が大型行燈になるように設計をして、人宿町のシンボル的存在にした。
1階の店舗も、30坪を3区画に分けて10坪ほどの小型店舗にすることで1店舗当たりの家賃を抑えて、出店のハードルを下げた。チーズケーキ専門店、煎餅屋、カウンターのみの小料理屋、フレンチレストランを誘致。2階には、弁護士事務所と会計事務所が出展した。
以前は、個室居酒屋の先駆けで繁盛をしていた店だったが閉店。その後に長い期間テナント募集が出されていたが、70坪ほどの2階建て1棟建物を借りれるテナントは、相当な資本がある店でないと借りられることはない。しかも、このエリアはチェーン店が出店できるほどの人通りはではない。そのような状況であった土地建物を購入。今の街の状況からして間違いなく、店舗面積が大きすぎることがウィークポイントである。そこで既存階段を軸にして各階を2店舗ずつに分けて15坪ほどの店舗計4店に区画割をした。そうすることで、家賃が15万(坪単価1万円)近辺に落ち着き、出店候補者のすそ野が広がった。1階には拉麺屋・日本酒バー、2階にはイタリアンとワインバーが入居した。
「SOZOSYA TERRACE」の外装には特徴的な壁画を検討。「尖った富士山」をテーマにTRY&ERROR主催のアートプロデューサーMON氏を中心に描いた。理由は、家賃断層帯といわれる4車線通りの昭和通りがある。静岡駅を有する中心市街地側から訪れると必ず渡らなくてはいけない、大河のごとく断絶する通り。こちらのスクランブル交差点から見える人宿町側の初めのロケーションが、このSOZOSYA TERRACEの外壁面となる。そこに、人を寄せる何かが欲しかった。それがこのアート壁面のアイデアであった。今でも、クジラなのか富士山なのか問い合わせがあるが、アートは観る方の自由とお伝えする。
OMACHI創造計画と銘打ってから、各段に地域の方々からの信頼度が変わった。当然いい方向に。そんな中、老舗純喫茶店から相談をしたいと。聞くとママ様が引退を考えたいとのことで、お店を売って引退してゆっくりしたいという内容だった。ここまでは通常の話だが、純喫茶をそのまま営業して欲しいという条件付きだった。今時でいう事業承継、M&Aということになる。
タイミング良くして、ゲストハウスで独立起業を目指す若き女性2人からも物件相談が来ていた。そこで、創造舎が物件を買い取ってリノベーションをし、1棟建物として賃貸するので、ゲストハウスと純喫茶を抱き合わせで運営できないか打診したところ、双方から快諾をいただき計画がスタート。ママのサイホン式のコーヒー淹れ方指導の猛特訓が始まり、コーヒーの味も受け継いだ。既存の純喫茶部分は、多少手を入れる程度でコーヒーカップや家具類もそのまま使用し、以前の常連客が持つコーヒーチケットも引継いだので、お客様の承継も円滑にいった。上層階をゲストハウスにリノベーション「泊まれる純喫茶ヒトヤ堂」が無事OPENした。
「EZAKI SOZOSYA キネマ館」は2棟建物で構成されている。建物名であるEZAKIグループである静活株式会社と、弊社の建物が設計を合わせて向かって右と左に2棟並んで建っている。新築前の計画地は30年近く空家、閉店して2年くらいの居酒屋跡地、駐車場、そしてEZAKIグループの新聞配達店だった。4つの土地の内3軒を弊社。新聞店跡地はEZAKIグループ。設計は2棟をまとめて行い、建物は完全に別棟として分けた。
EZAKIグループは静岡中心市街地で100年の歴史を持つ。新聞配達を一手に担い、新聞の定期購読を売るために映画のチケットをつけ、自社で映画館を建てて、それが静岡市の映画館街となった。なんの因果か、我々の人宿町の街づくりは、その映画館街が撤退してシネコンに移る場所で行われている。EZAKIグループには、そんな経緯も察していただき、今回の計画には全面賛成。設計コンセプトもすべて一任してもらった。
共同で建設が決まり、どうせなら創造舎にない歴史、EZAKIの歴史をお借りして設計をした。1919年に創立した静岡初となる映画館「キネマ館」と、現在の本社に位置した「歌舞伎座」のデザインを掛け合わせ、「清新なる娯楽と最新文明の精華をもって市民文化の向上と生活の潤いを図る」とのキネマ館創立趣意を受け継ぎ、 EZAKIグループとデザインオフィス創造舎が共同建設した複合施設が完成した。2階には、抜群のタイミングで芝居小屋を探していた「劇団やどりぎ座」とも合流でき、90人収容できる専用劇場「やどりぎ座」が開館。他には、1階に花屋のTEN ROSEs、蕎麦屋、ITAMAE朝太郎、フレンチレストランninosa、2階にインテリアショップKartellが入居し、様々な世代が交流する場となった。
新築前の建物は閉店した長らくの内科医院跡地。ここは、夜になると一段と怖かった。もはや心霊スポットのようだったので、その方向でお化け屋敷にしても良かったが、とにかく雨漏りが激しく売主サイドからも、建物を使ってもらいトラブルがあったら困るということで、解体更地で引き渡され、木造の2階建てを建設。土地も20坪程なので、店舗数は各フロアに1テナントずつ2店舗。1階の炭火フレンチ「SINQ」は、静岡県の生産者から直接食材を仕入れ、炭火で調理された自然な料理とこだわりのナチュールワインを合わせる。カウンターと人宿町でまだ少ない個室を有している。2階には会員制サロンを誘致。街に面白い人々を招く。
「ピザ屋」閉店後、近隣の七間町から人気店が移転。本場アメリカンダイナーの雰囲気で味わえる本格バーガーが食べられる「テキーラダイナー」。昨今のバーガーブームで各街にご当地バーガーがある。人宿町にも、その店ができた。念願のバーガー屋さんだった。この建物は、1棟で仕入れている。2階の約60坪の空間や一階奥の倉庫の改修は今後の計画となる。
人宿町では2005年まで地元商店街による「駿府人宿町 人情夜祭」という催しが開催されていたが、商店の閉店などで参加店が減少し、商店街を解散したことから祭りも開催されなくなった。今回は15年ぶりに創造舎主催で「人宿町人情祭」として復活開催。人情通りを歩行者天国にするには、通りに面する全軒の許可を要するが、皆様に快諾をいただき、初めての歩行者天国が実現した。出店はすべて人宿町の店が露店となった。普段のお店とは違ったこだわり料理が食べられることもあって、レベルの高い飲食ができて満足度の高い祭りとなった。コインパーキングを貸し切り、ステージを設け、近隣の中学生からプロまで年齢層幅広いイベントを計画した。目的のイベントごとに会場のゲストが入れ替わり、祭りに活気を与えた。1日で約8000名ほどが来場。子供からお年寄りまで楽しめる人情祭は、名前の通り皆の「人情」の輪によって成功に導かれた。初めて人宿町にこんなに多くの人が来てくれた。本部スタッフには、長くこの街に住む婦人会の方々もボランティアでお手伝いいただいた。大変忙しかったが、皆が充実して賑わいを懐かしんで喜んでくれた。この会の最後の挨拶では、感動の涙で言葉にならず恥ずかしかった。
OMACHI創造計画第一弾として10のテナントの同時オープン。各店主を主役とする。近隣町内会との連携。このように地域に根付くことをしっかりとやっていくことで、行政や報道機関、各店の関係者等々、多くの関係人口が増えていき、より公共性豊かなまちづくり計画として盛大な式典となった。
来賓から関係者総勢300名ほどが訪れた。各店主が皆でくす玉を割り、近隣町内会長が揃いテープカット、民放メディア全局、NHKや新聞各社の取材が押し寄せた。
結果、全店舗のオープニングの話題性は抜群のものとなり、開店早々に大変多くの客入りに恵まれた。
1店舗のオープンでは絶対に成しえない話題性が出て10店舗という面として連携の開発の強さが発揮された。
「EZAKI SOZOSYA キネマ館新築工事」でテナント6軒・住居18軒。「SOZOSYA KADO新築工事」2軒のテナント。「テキーラダイナー」「お好み焼き屋」など合計10の店舗がオープンした。
同年5月の第一弾の熱気が冷めやらぬ状態での、今回の 「OMACHI創造計画第2弾」も大盛況となり、恒例の各店主によるくす玉割り、テープカットが行われた。 会場は、キネマ館2階の約90名収容の芝居小屋「やどりぎ座」で開催。
街に小劇場ができたこともアピールでき、式典では専属劇団の芝居も披露された。「EZAKI SOZOSYA キネマ館」は人宿町人情通りのヘソとなる中心の交差点に位置する。この建物の完成により、人宿町の中心部に明かりが灯り、人情通りを照らす道しるべのような存在が誕生した。
人宿町にあるポツンと佇む老舗陶器店。93歳にして現役でお店に立たれる店主。裏が住居となり人宿町に住んで働くというスタイルの大先輩でもあられる。木原屋の歴史は戦前に遡る。この建物は静岡大空襲で街が完全に焼野原になった後に、戦後の壮絶な時期にバラックと言われてもおかしくないように、構造材はつなぎ合わせた材料ばかりで作られていた。平屋で屋根もトタンなので70数年無事に建っていた。この時に陶芸教室兼アトリエを探していた陶芸作家の前田直紀さんに、昔ながらの素敵な陶器屋さん木原屋さんをご紹介。2人が意気投合して店を陶芸教室の場に貸してくれることになった。しかしながら、住まいは裏になる。間口も別に玄関を持ってこれるものではない。ということで、玄関として歩くスペースを空けておいくという条件のもと、家族の同意も得て玄関シェアの陶芸教室が出来ることになった。これは、前田先生の人柄が第一である。おまけ程度ではあるが、OMACHI創造計画と創造舎が街に信用を得られた点もある。シャッター商店街によくある悩みは、住んでいるから店は貸せないということ。人との信頼や人情たるものがある人宿町だからこそ叶ったマッチングであった。地下に残る防空壕でお茶会のイベントをしたり、展覧会をしたり、街の文化レベルを底上げしてくれる入居者の陶芸家前田先生の企画は今後の可能性しかない。
街にはパン屋さんは絶対に必要である。念願のパン屋さん。さらに店内の奥にはイートインスペースがあり、朝はモーニングセット、ランチは買ったパンにスープが別売りで買える。SINGEのおかげでランチ難民になることがなくなった。これは、地域で働いたり住んでいる方々にも大変喜ばれた。パン屋さんはどこでも人気者なんだと思う。
ステーキ屋の後になる建物の改装工事は壮絶だった。解体が始まると過去の店舗の幾度にも重なった内装が出現してきた。おかげで壁厚が25ミリほどあったところもあった。当然に内装をスケルトン解体をすることになるが、天井も含めて、まるでマトリョーシカのようだった。結果、構造補強や、断熱、雨仕舞も改善でき、なかなかの難易度ではあったが、これしきでは、もはやなんとも思わず想定内である自分に成長を感じた。
2018年15年ぶりに再復活された「人宿町人情祭」は2019年も引き続き開催された。人宿町の料理がマルシェで気軽に味わうことができるほか、ステージを設け、舞台ペイントやライブショーを行った。大トリの「そまのんま美川」さんのライブショーが恒例となり、今回も大勢の観客を沸かせることに成功。子供からお年寄りまで楽しめる人情祭は、飲食店の他、商店街・町内会の方々の協力もあり、毎年恒例の行事として認めてもらえるように。
人宿町の中で抜群の人気を誇る有名店。以前の建物のリノベーションを計画していたが、老朽化が激しく若きシェフのこれからの働く年月を考えて急遽建て替えの路線に切り替わった。
外壁は静岡市産のヒノキ材に特殊防腐塗料を塗った。準防火地域であるが耐火基準をクリアして、人宿町人情通りで木を感じてもらう建物に設計。フルオープンな厨房で繰り広げられる料理を、目の前でライブで見れる楢の無垢カウンターが8席、幅が1400㎜あるチーク材のオーダーテーブルのボックス席が16席、4人個室が2部屋。数々の料理が作られるところがすべて見れ、満員時の厨房のスタッフの動きは圧巻である。オーナーシェフ・菊地さんはイタリア各所に飛び込みで働きに行き、北から南までイタリア全土の料理を修行してきた。すべての料理がどこか飛んでいて、アートしている。シェフの趣味の絵画は、最近では個展を開くほどになっている。料理が一段落した時の店内のピアノでシェフの演奏を聴くのも楽しみの一つ。
2020年2月14日、バレンタインデーに第3弾として人宿町人情ストリートの入り口にランドマークとなる「OMACHIビル」をメインとした計14店舗が出そろいオープニングを迎えた。クルーズ船でコロナ感染者が見つかりニュースになるも、どこか対岸の火事のような気持ちながら落ち着かない状態で式典が開催された。この場所は、静岡のサッカー少年の聖地「サッカーショップGOAL」を更地にし、約9ヵ月の工事期間を経て竣工。5階建てのテナントビルで計画した本物件は、このエリアでは上層階のテナント付けがとても難しく、通常なら2階までテナントで、上はマンションというのがセオリーだったと思う。しかし、本計画に関しては絶対に住居を併用しないでオールテナントビルを建てたかった。人宿町の入り口となりOMACHI創造計画の認知も上々で、出店希望の店の情報も裏付けとして持っていたこともあり、人宿町初の5階建てテナントビルで合計10テナントを有する「SOZOSYA OMACHIビル」が完成。オープニング時には満室御礼なって、日本料理店や焼肉店、バー、チョコレート屋の他、猫カフェやマジックバーなど多様な店舗10店を誘致することに成功した。
1階にクラフトチョコレート屋、お茶と茶菓子、団子の店、フライドポテト専門店という物販店が集まってくれたことが、昼間利用の街として魅力が上がった。
陶芸教室に引き続き人宿町の文化施設「人宿藍染工房」の8代目染物職人が工房を移転。伝統的な技法による藍染体験ができる染織工房が人宿町に誕生。初心者でも手ぶらで立ち寄れ、ワークショップを中心に体験染めや、作品販売などができる。この工房で使われている藍は本格的なすくもを使用した地獄だて。藍染の液の元となるスクモは、藍の聖地でもある徳島県まで行って生産者から直接手に入れている。スタイリストやアパレルメーカー、最近では静岡の伝統工芸や民芸ともコラボしている。街に飲食店以外の文化施設も街の楽しさを伝える重要な存在である。
人宿町のバーガーテキーラダイナーと同じくした建物の駐輪場を奥に行った場所にアクアリウム ミクロがOPEN。店内までの長いアプローチは、飽きないように様々な熱帯魚の写真が貼られ、下部にはテープライトで線の照明ラインを出してゲストを誘導する。様々な種類の熱帯魚の他、はりねずみなどペットたちが待つ癒しの空間が広がる。出張の水槽管理もやっているので、創造舎本社の打ち合わせエリアにある水槽はミクロ管理にお任せしている。
4月中旬オープン予定だった創造舎直営の「人宿町食堂」もコロナ自粛と緊急事態宣言で延期されたが、5月15日に無事に開店。
日々忙しい飲食店の人にも食べてもらえる食堂を提供したいと考え、ランチタイムの営業時間は15:00まで。人宿町のお母さんのような存在の「人宿町食堂」が完成した。
3軒の木造テナントが並ぶエリアにカレー半頃ノ紫がOPEN。全店が夜逃げやトラブルで退去してから15年ほどの月日がたち、何も手を付けられていない廃墟と化した築70年の木造建築の建物だった。蔦の葉が張っていて、皆がごみを不法投棄することから、見た目も悪さだけでなく、火事などの二次災害を危惧していた。大家さんも訳あって手を付けられずにいたが、5年がかりで説得をして、並びの3店舗を借り受けることができ、転貸借させてもらえることになった。外壁はなぜか既存モルタル壁にコンクリートブロックを15段も無筋で抱かせて積み重ねてあり、壁からの控えも木でやってあった。要は3メートルの高さのコンクリ壁がいつ倒れてもおかしくなかった。この件に関しては、事故が起きる前で良かったと心から思った。他にも雨漏り、梁や土台の腐りや欠損、言い出したらキリがなく、2階部分に至っては腐食した踊り場が現場調査中に底抜けするなど命がけの物件であった。内装を解体し補強&断熱を加え全面リノベーション。昼はカレー屋・夜はBARを営む隠れ家的な店舗が完成。
若手女性社長の急成長中の企業も人宿町へ本社を移転し、静岡の新卒採用コンサル会社「ナナクレマ」が完成。いよいよ、街としての機能が整い始め事務所の誘致も始めた。昼間の人宿町への流入人口を増やすためだ。事務所は、ランチ需要もあれば夜の宴席の利用もある、土日は弱くなるがウィークポイントである平日の動きが変わってくる。50人収容のレンタルスペースも併設しているので、不特定の人数が人宿町に来てくれ経済効果に貢献してくれることになっている。
以前は2階が風俗店跡地、1階奥はスナックがそのまま状態で退去。1階手前はスケルトン状態だった場所になかよし荘がオープン。この建物は人宿町人情通りと垂直に交わるメイン通り七ブラシネマ通りに面している。
路線バスも通る大通りにポツンと一軒家状態で、長らく放置されていた建物だった。庇下から覗いている風俗店の店名だったであろうピエロの看板がなんとも滑稽さを醸し出していた。大家さんも高齢だったことから、なかなか建物に改装の投資をすることもできず、かといって現況のままでは入居希望者が名乗りを上げることもなく、とても悪いスパイラルになっていたところを、一棟で借り受けることが成立した。
大家さんが過去の人宿町の開発方法に賛同いただいたことも信頼につながったと思われる。昨日まで営業していたように時間が止まったような店内は、過去の経験値が生き、抵抗感なく粛々と解体の段取りをしていった。2階の窓開口が少なすぎたため、やれる範囲で開口を大きくした。おかげで、ピエロの面影もなく新しく入った絵画教室「美想科学芸術Lab」のOPENにこぎつけた。こちらも人宿町の文化的な店舗のひとつである。コロナ禍に人宿町の人気イタリアン「ibrido」が作った惣菜店「quantistico」が完成。どうしても、自分の店の名前でテイクアウトをしたくなかった菊地シェフが監修したテイクアウトに振り切った専門店。コロナ第2派の時は惣菜店に全スタッフを送り計画を実行した。
用宗でクラフトビールを醸造しているWCBの仮設販売所「WCB第参番移動式冷蔵庫」がOPEN。
静岡市駿河区用宗エリアで新しく出来た温泉施設と同じ建物内で醸造所を構えている。いまでは全国のクラフトビール業界で名前を聞かない日は無いともいえるWEST COAST BREWINGの販売所となる。名前の由来通り、アメリカ西海岸シアトル出身のアメリカ人社長が渾身のビールを作っている。共感する日本在住アメリカ人が、このビアコンテナに集まり、家から2時間くらいかけて、ここにきてくれる方も多い。アメリカ人のソウルドリンクなのだと思う。
静岡大学4年生のカフェ経営計画に協賛しキッチンカーを提供。静岡を元気にしたいという気持ちから人宿町の活性化のためにまちづくりに参加し、その後そのまま人宿町で店舗を構えるきっかけになった。
コインパーキングの通り側にキッシュ屋 oeufがOPEN。商店街通りに出現するコインパーキングは店の並びに、ぽっかりと穴を開け歯抜けにして店の連続性を分断してしまう。商店街の声がしっかりと反映されていたら、駐車場になることはなかっただろうが、商店街機能がないのなら土地の有効活用としては致し方ない。ただし、その状況下でも最大限に店の連続性を保てる方法がないか検討した結果、通り側の一台分を月額でお借りし、そこに給排水と電気だけ通してキッチンカーで飲食や総菜業の許可を得て店にする。精算機の防犯の役にも立ち、買い物もしてもらえたりと相互利益にもなる。これで、コインパーキングの半分が店になるので、商店街の店の連なりも半分解消できる。かわいい形状のキッチンカーと少し歩道よりセットバックした部分には、デッキを作り人だまりができるようにしてあり、人情通りの入り口を雰囲気を明るくしている。
半頃乃紫カレー屋の隣に位置する築70年木造シリーズ。レモンサワーの専門店 レモンレモンという振り切った形態のお店を経営するのは、美川憲一にものまね公認をいただいている「そのまんま美川」が営む。実は、この店は東京新宿のゴールデン街で超人気店となるレモンサワー専門店「オープンブック」店主、田中開氏からレシピ提供や開店までのプロデュースをいただき、静岡で究極のレモンサワーが飲める店としてそのまんま美川氏が経営をしている。人宿町人情通りから一本外れた通りに面しているところから、裏ヒトヤドなる名称で呼ぶ方々も最近では出始め、その名の通り隠れ家的な雰囲気と、美川さんの絶妙なトークが人気を呼び、裏の名店になっている。
レモンレモンの隣に位置する築70年シリーズの3軒目。人宿町のメインストリートから一本外れた裏ヒトヤドを好む店主は隠れ家的な雰囲気の「五色雲」をオープンさせた。飲食店の店主たちが集まる店としても有名になった。仕事終わりの飲食の関係者がくつろげる場所となっている。熟成魚の魚が食べられるのも、プロの料理人たちの舌を唸らせている。裏ヒトヤドを盛り上げる店として、行灯は深夜まで灯がともる。
静岡市葵区金座町にある老舗で、人気ステーキ店COWBOYが人宿町店を創った。カウンターの目の前でダイナミックなステーキを焼き上げる。見ているだけでヨダレが出てしまうのでカウンター席は要注意だ。
静岡県に所縁有る作家の作品を展示するセレクトショップとして「てとてといっぴん」がOPEN。現在は駿府の工房匠宿に移転している。
2020年2月14日バレンタインデーに第3弾として人宿町人情ストリートの入り口にランドマークとなる「OMACHIビル」をメインとした計14店舗が出そろいオープニングを迎えた。クルーズ船でコロナ感染者が見つかりニュースになるもどこか対岸の火事のような気持ちながら落ち着かない状態で式典が開催された。この場所は、静岡のサッカー少年の聖地「サッカーショップGOAL」を更地にし、約9ヵ月の工事期間を経て竣工した。5階建てのテナントビルで計画した本物件は、このエリアでは上層階のテナント付けがとても難しく、通常なら2階までテナントで上はマンションというのがセオリーだったと思う。しかし、本計画に関しては絶対に住居を併用しないでオールテナントビルを建てたかった。人宿町の入り口となりOMACHI創造計画の認知も上々で出店希望の店の情報も裏付けとして持っていたこともあり、人宿町初の5階建てテナントビルで合計10テナントを有する「SOZOSYA OMACHIビル」は完成した。オープニング時には満室御礼なって、日本料理店や焼肉店、バー、チョコレート屋の他、猫カフェやマジックバーなど多様な店舗10店を誘致することに成功した。
1階にクラフトチョコレート屋、お茶と茶菓子、団子の店、フライドポテト専門店という物販店が集まってくれたことが、昼間利用の街として魅力が上がった。
「てとてといっぴん」が駿府の工房匠宿に移転後はフラワーアートを販売する「Cocorohana」が完成。生花はもちろんアレンジメントやアロマオイルなどワークショップを開催し、人宿町で気軽に体験できるスポットが増加した。
静岡大学4年生に提供したキッチンカーの抹茶カフェが人宿町に店舗を構えることに。大学生から静岡・人宿町を活性化することを志している店主吉村さんは、大学生と一緒にイベントなどを行い日々静岡を盛り上げてくれている。
コロナ禍の開催となった3回目の人宿町人情祭。時代はコロナ真っ只中で緊急事態宣言や飲食店への休業要請などにより、2020年の人情祭は断念したが、2021年は無事開催することができた。コロナ禍の影響はあったが、ライブショーの他、マルシェでは人宿町にある各飲食店のテイクアウトの商品の販売などを販売し、感染対策に気を付けながらも多くの方に楽しんでもらえる人情祭になった。
4軒の店舗が連なる新たな横丁スタイル。創造舎の直営店でもあるカジュアルダイニングThe Deckのテラス席では、WCBのビアやVELVETのタコス、アオイパフェも食べることができる。The Deckは人宿町のHUBの役割も持ち、テラス席では東京のイケてる店を1日限りのコラボで誘致をして定期的に静岡で東京を食すイベントを開催している。これからも今までにないものをやっていく姿勢を持った空間となる。テラス席は現場の足場をしようしてカジュアルに建設されている。半屋外なので寒暖には弱いが、コロナ対策として換気には優れた空間となっている。
「EZAKI SOZOSYA キネマ館」1F入り口には「清水港みなみ」「焼津港みなみ」などの有名店の姉妹店として新しく「まぐろのみなみ」を誘致。 OMACHI創造計画の中心部に位置する「人宿町マート」には連日絶えることなく人溜まりが出来、向かいのキネマ館前には「清水港みなみ」同様にランチ時には行列をみせるスポットとなった。
「人宿町マート」は50年前までは布団屋を営んでいた店舗併用住宅店を閉めてからは専用住宅として使用され、築70年の年季を感じる家だった。マートの内装も基本は現況仕様を使い、できるだけ現状のままの状態を維持しながら、新しく昔懐かしい八百屋・魚屋・肉屋・魚屋・喫茶を終結させ、人宿町の小さな市場に変貌を遂げた。古民家の改修に執着し、近隣の方々が日々来れるお店を集めることで、飲食店とは違い、様々が年代の方が集まる場所が完成。イベント時では無い、平日の通常時に人溜りと人の流れも絶やすことなく作ることが出来ている。
人宿町マート向かいに自家焙煎のコーヒー屋 COFFEE COUNTER 2420 とケーキ屋「patisserie irise」がOPEN。OMACHI創造計画第4弾では「人宿町マート」を中心にテイクアウトや人宿町散策のおともに愉しめる店舗が増え交差点付近には常に人溜まりが出来、新たな人の流れを創り出すことに成功した。
コロナ禍を乗り越え今年で4回目の人宿町人情祭。人宿町で人気の美味しい料理がマルシェで気軽に味わうことのできる人宿町人情祭。ここでしか味わえないグルメ店が話題を呼び、街に人が溢れる新しい“おまちマルシェ”となっている。街のみんなの手仕事な祭り、それが人宿町人情祭。マルシェ・ステージともにコロナ前以上の賑わいをみせ街には活気が戻り、名前の通り、皆の人情の輪によって今年も成功に導かれた。
静岡大学の生徒げんちゃんとせんちゃんの2人がオーナーの、まあるいたい焼き専門店 さち【まるさち】。藤枝のたい焼き屋の焼き型とレシピを受け継ぎ開店。
人宿町人情通りの裏通りにカジュアルなビストロ風ナチュラルワインバーがオープン。
2018年10月、OMACHI創造計画第4弾が行われた交差点は、一連のOMACHI創造計画の中心地ともいえるスペースで、第2弾に建てられた「EZAKI SOZOSYA キネマ館」を含む新旧がミックスしたプロジェクトとなる。新規6店舗が誕生した「人宿町マート」を中心に「まぐろのみなみ」「2420」「irise」の合計9店舗がグランドオープンとなった。OMACHI創造計画第4弾では交差点を中心に新規店舗をOPENさせ個性のある各店舗がリンクすることによって賑わいを生み出すことに成功した。コロナ以降3年が経過したセレモニーだったが、盛大に行うことができ各メディアから取材が殺到した。
長年居酒屋だった空き物件に、新しくお燗と中華の人気店が移転。昼15時から(日曜は13時から)の営業で中華×昼飲みが楽しめるように。
空き物件となっていた「スズイワ」という老舗婦人洋服店。ビニールシートを外すと改装前のものであろう「鈴岩」の看板が顔を出し、更にその先を外していくと昭和の趣を感じる「鈴木衣服店」の看板が姿を現した。築年数も経つことから老朽化も進む建物だったが、新築で立て直すことをはせず既存の外観をできるだけ生かした形で内側部分の構造補強やなどを施し、開業当初の一番古い時代へ外観デザインを復元したことによって時代が昭和から令和へと変化していく中、今の現代に融合するデザインとなった。外観にピンクの照明や暖簾などの様々な装飾を施すことで、外からも目に留まる印象的な外観へと変貌を遂げる酒場が完成した。
今年で5回目の人宿町人情祭。毎年人宿町の飲食店が露店で気軽に楽しめる人情祭だが、今年は新しく人宿町にOPENした「お燗と中華 華音」や、「人宿酒場TAKUNOMI」なども出店。普段なかなか予約が難しい店舗の味が気軽に楽しめるとのことで話題を呼び常に人だかりが絶えない一日となった。今回の人情祭では「ホップマン」も漫才、「ROSSi」のバンド毎年恒例の大トリ「そのまんま美川」さんが登場。人宿町に店舗を構える店主さんがステージも盛り上げた。街のみんなの手仕事な祭り、それが人宿町人情祭。露店・ステージともにコロナ前以上の賑わいをみせ、皆の人情の輪によって今年も大盛況の一日となった。